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こんにちは。 シリーズでお伝えしています熊本市の記念館、今回はリデル、ライト両女史記念館のご案内です。 駐車場横には両女史の墓碑と両女史が患者たちと眠る納骨堂があります。 リデル女史とライト女史は伯母と姪の関係に当たります。リデル女史は明治24年、35歳の時にイギリス国教会の宣教師として熊本に赴任しました。女史は寺の参道咲き誇る桜並木の下で目にした光景に大変な衝撃を受け、ハンセン病患者の救済を決意します。そして、明治28年に宣教師の同志らと回春病院を開設しました。 リデル女史の活動は本国からの送金で成り立っていましたが、日露戦争時代その送金が途絶えがちになります。そこからリデル女史の非凡さが発揮されます。大隈重信に援助を求めるとともに、渋沢栄一らの支援を得て、ハンセン病問題を国家問題に転化させました。 宮内省からの下賜金 記念館は大正8年にハンセン病菌の研究所として建てられ、当時は1階建てでした。 両女史は患者のキリスト教伝道に強い使命感を抱き、大正13年には敷地内に聖堂が建てられました。正面にはなだらかなスロープが設けられ、建物の周囲は車椅子で動きやすいように、セメントで塗り固められています。今で言うバリアフリーの建物でした。車椅子は英国から輸入されました。 姪のライト女史は、回春病院創設の翌年に来日し、リデル女史を手伝います。とても美しい方だったようです。 暫く関東地方で宣教に従事し、大正12年に熊本に戻り、昭和7年にリデル女史の永眠後、2代目院長になりました。患者の間では、リデル女史は大輪のバラ、小柄で清楚なライト女史はスミレの花のようだと言われ慕われていました。 記念館はリデル女史没後にライト女史が2階を増築して住んでいました。2階は日が燦燦と入る気持ちの良い建物です。 1階の奥は映像が見られるようになっています。リデル女史は出窓に座って外を眺めるのが気に入っていたようで、座ってみましたがとても座り心地がよい出窓でした。現代はこのような出窓はありませんよね。 リデル女史の十字架や印章 二人が使っていた品々です。 靴紐締め金具です。どのように使うのでしょうか。 2人が使用した聖書 展示してある写真を見ていますと、2人ともきちんとした身なりです。宣教師は皆そうだったのでしょうか。きっと、2人はイングリッシュレディーだったからではないでしょうか。患者さん達にも、ちゃんとした服装をするように言っていたそうです。 記念館の調度品にも素晴らしいものがあります。軽井沢彫の家具とのことで、鎌倉彫の職人が軽井沢に移住して作った家具です。宣教師仲間のつながりで、よく軽井沢を訪れていたようです。 現代の軽井沢彫職人が、絶賛していたという丸テーブル 皇室とのかかわりも深かったようです。 徐々に戦争の足音が近づいてきます。外国人であるライト女史は、いわれのないスパイ容疑で調べられたり、2階に警察官が泊まり込みで監視をするということもありました。 そしてついに、昭和16年2月3日(リデル女史の命日)に突然病院解散を言い渡され、強制退去が執行されました。46年間続いた回春病院の最後の日となったのです。 戦争が終わって昭和23年、ライト女史は78歳の時に再度日本の土を踏みます。熊本駅で出迎えを受けた時の女史。 女史が持ち帰った木香バラ、初夏には記念館の正面両脇の棚に黄色い花が咲き誇ります。木香バラは棘がないバラです。女史は患者さんたちのことを思い、棘のないバラを選びました。 荒れ果てた住まい 熊本へ戻って1年8ヶ月後最期の時が来ます。その間ハンセン病患者を親に持つ子供たちの寮「龍田寮」の子供たちとの時間が女史にとって慰めでした。 ライト女史の絶筆。「神様のお恵みにより私は幸せでした。」 2階のライブラリー、春には窓から桜の花が見られるそうです。ここで、両女史を偲びながら読書の時間を過ごすのも一興です。 記念館では、企画展も開催されています。次回は「龍田寮」です。 自らの信じる道を行き切った両女史でした。信じるものを持った人たちは本当に強いですね。同じ女性として、強くしなやかに生きて行きたいものです。 このブログは、記念館作成資料などを参考にさせていただきました。記念館の館長はじめ、記念館の方々に大変お世話になりました。館長には内容の精査もしていただきました。この場を借りて感謝申し上げます。 尚、ブログ掲載(写真を含む)に関しては熊本市役所の許可を頂いております。 ◆◆◆ 参観案内 ◆◆◆ ■ 開館時間:午前9時30 ~午後4時30分まで ■ 休館日:月曜(祝日の場合は翌日)及び 年末年始 ■ 入館料:無料 ■ 所在地:熊本市中央区黒髪5丁目23‐1 ■ TEL:096-345-6986 ■ 駐車場:有
by stsplaza
| 2013-01-14 15:37
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