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こんにちは。 観光・郷土情報センターです。 観光コンシェルジュが実際に訪れた、熊本市にある 8つの記念館をシリーズでご紹介しています。 第7回目は、中央区大江にある徳富記念園をご紹介します。 敷地内には熊本県指定史跡の「大江義塾跡」もあります。 徳富記念館と、徳富蘇峰・蘆花兄弟が少年時代を過ごした徳富旧邸には、 約2000点の資料や遺品などが展示されています。 敷地の右手奥に立つ資料館(徳富記念館)は1968(昭和43)年の明治100年事業で建てられました。まずはこの記念館からご紹介していきます。 弟の徳富蘆花(本名・健次郎)は、小説「不如帰」(ホトトギス)、「自然と人生」などで有名な文豪です。他にも「思い出の記」、「黒潮」などの作品を遺しました。 小説「不如帰」のヒロインの名前が浪子だったことから、この作品の流行とともに明治時代の後半から女性の名前に「子」を付けられるようになったと言う説もあるそうです。 兄の徳富蘇峰(本名・猪一郎)は、明治を代表するジャーナリスト、歴史家、そして政治家でもありました。 9歳のとき、熊本洋学校(現在の記念館・ジェーンズ邸)に入学し、在学中キリスト教を信仰する若き洋学校の生徒35名の一人として花岡山で行われたキリスト教信仰の誓いに参加しました。この集会では賛美歌や聖書朗読を捧げた後、「奉教趣意書」に誓約しました。いわゆる「熊本バンド事件」です。 このことがきっかけで彼らは親たちに棄教を迫られ、結果洋学校は閉鎖します。蘇峰は東京の英学校へ入学しましたが、授業に納得いかないと縁戚を頼って京都の同志社英学校に移りました。 そこで出会ったのが、蘇峰が生涯師と仰ぐこととなる新島襄(じょう)でした。 (写真右) 彼の妻は新島(旧姓・山本)八重。現在放映中の大河ドラマの主人公にも抜擢され、注目を集めています。 戊辰戦争では女性でありながら自ら銃を持ち戦い、京都に出てからは近代女性の先駆者となり会津藩の教え「什の掟」や「日新館童子訓」に基づいた強い信念を貫き、その生き方から元祖「ハンサムウーマン」と呼ばれました。日清・日露戦争では篤志看護婦となった功績で、皇族以外の女性として初めて政府より叙勲を受けました。 同志社英学校の生徒たちには、明治の時代にあって八重の夫に対する欧米流のレディファーストな言動は襄を軽んじているように映り、また和洋折衷の服装や日本人離れした顔立ちから、当時学生だった蘇峰は八重のことを「鵺(ヌエ)」(=妖怪)と誹謗したといいます。しかし夫の襄が臨終の際、彼女に過去の非礼を詫び、彼女のことを新島先生の形見と生涯気にかけました。 (一年分の給料を封も切らずに彼女に届けたこともあるそうです) また蘇峰は修史家としても活躍し、織田信長から西南戦争まで340年間にわたる日本の歴史を一人で書き上げた「近世日本国民史全100巻」は世界に類を見ない偉業だと言われています。 次に旧邸をご紹介します。 徳富兄弟の父・一敬(淇水・きすい)は明治維新ののち、熊本藩庁出仕のために郷里の水俣から一家を引き連れこの地に移り住みました。 弟・盧花の作品「恐ろしき一夜」は、明治9年に「神風連の変」が起き近隣の鎮台司令官・種田少将宅が襲撃された様子を母の久子とこの旧邸の2階から見て書かれたものです。 またここは蘇峰が民主的な学校を目指し開いた私塾「大江義塾」の跡地でもあります。 塾長であった蘇峰が使用した机と、蘆花の文机です。 寝室と、蘆花の名前(健次郎)が書かれた旅行鞄(手前) 旧邸の庭では、アメリカから新島襄が取り寄せたカタルパの種が、今では2世3世となって大きく育っています。ノウゼンカズラ科・別名アメリカキササゲといい、5月には純白の花が咲きます。 樹木を育てるのに10年先を見るように、100年先を見据えて有能な人材を育成してほしいとの新島襄からのメッセージだったようです。 (現在の同志社女子大学のカタルパの木は、徳富記念園から贈られたもの) 今年は徳富蘇峰・生誕150周年ということもあり、関連の展示・イベントも開催されています。 そちらもぜひチェックされてみて下さい♪ 尚、ブログ掲載(写真を含む)に関しては熊本市役所の許可を頂いております。 ◆◆◆ 参観案内 ◆◆◆ ■ 開館時間:午前9時30 ~午後4時30分まで ■ 休館日:月曜(祝日の場合は翌日)・年末年始 (12/29-1/3) ■ 入館料:高校生以上 200円・小中学生100円 (熊本市内の小中学生・65歳以上は無料) ■ 所在地:〒862-0971 熊本市中央区大江4丁目10-33 ■ TEL:096-362-0919 ■ 駐車場:有(8台程度)
by stsplaza
| 2013-01-26 17:27
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